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前回から書き始めた食べ物に関する思い出の話。 その2回目は、前回の「しょう紅熱」で入院した後の話である。 前回も書いたが、当時5歳になる直前の私には、食べ物の“好き嫌い”がわりとあった。 入院期間中、食べられるものが少なく、食事の時間が憂鬱だった。 後から両親に聞くと、見舞いのお土産におもちゃを持っていってもあまり喜ばなかったらしい。 「食べるものかと思った…」 寂しそうに、そう私は言ったそうだ。 退院の日。 病院で久しぶりに風呂に入る。 とてもさっぱりした気分になった。 退院できるのだから、なおさら晴れ晴れした気分だったに違いない。 病院を出て、入院中に家族を見送った窓を外から見た。 小さな窓だった。 今振り返ると、窓から見た風景、そして外から見た窓の風景は、 私の人生観に少なからず影響を与えたと思う。 このことは食べ物とは直接関係ないが、私の中では何となく連想してしまうのである。 帰りに食事をすることになった。 「何でも好きなものを食べていい」と母は言ったそうだ。 お子様ランチでも、ハンバーグでも、何でもいいと本当に思っていたらしい。 しかし私がリクエストしたのは、まったく別のものだった。 「お蕎麦が食べたい」 そして、蕎麦屋に入り、私が注文したのは“大もり”。 まだ幼稚園に上がり立ての子どもだから残すだろう、と両親は思ったそうだが、 あっという間にペロリと平らげたという。 実は、このときのことをあまり記憶していない。 言われてみれば蕎麦屋に入ったような覚えがあるが、何を食べたかまでは覚えていない。 「そんなに、お腹を空かせていたのか…」と父も母も思ったと、後になって聞いた。 それ以前からも蕎麦が好きだったそうだが、自分で「蕎麦=大好物」を自覚するようになったのは、 この出来事の後からだと思う。 今でも思い出すことがある。 まだ幼い頃、たまに連れられて新宿へ行くことがあった。 当時は、大抵の買い物は地元で済んでしまう。 よって、例えば「新宿のデパートに行く」なんてことは、ちょっと特別なことだった。 昭和40年代後半から50年代前半は、まだそんな感覚があった。 楽しみは、お昼にデパートの食堂に行くことだった。 その頃、小田急デパートの10階だが11階に大食堂があった。 メニューは和洋折衷いろいろあって、食券を購入する。 私はいつも、蕎麦の「大ざる」を食べた。 お子様ランチよりも、蕎麦である。 それも温かい蕎麦ではなく、“ざる”とか“もり”といった冷たい蕎麦。 もちろん大盛だ。 小田急デパートで食べる「大ざる」は、蕎麦の上に海苔が乗っていた。 今では、「ざる」といえば海苔が乗っていて、「もり」は海苔がないことが一般的で、どこも変わりはない。 しかし当時はまだ曖昧で、「ざる」でも海苔が乗っていない店もあったのである。 だから、小田急デパートで食べる「大ざる」は、大好きだった。 このときの印象からか、今も海苔が乗っていると何となく贅沢に感じてしまう。 その後も、私の蕎麦好きは続いている。 以前にも書いたことがあるが、高校時代はよく立ち食いそばに寄った。 「山手線一周立ち食いそば屋めぐり」なんてこともしたことがある。 また、『かんだ藪そば』や『神田まつや』など、名店と呼ばれる店にも足を運ぶ。 毎日一食は蕎麦でもいいくらいだが、そうもいかない。 それでも、週に2度は蕎麦を食べに行く。 蕎麦を箸で少し取り、つゆに軽くつけて「ズズズッ〜」と一気にやる。 この瞬間、私はちょっと幸せな気持ちになる。 |
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