電車に乗って(^-^) ~スタンプ編/2nd 『宝町駅』
ひと駅ずつ進んでいますが、中には初めて降りる駅もあります。
今回は『宝町駅』です。
駅番号は「A 12」。
スタンプのデザインは「江戸歌舞伎発祥の地碑と自動電話交換発祥の碑」。
「江戸歌舞伎発祥の地碑」は、東京メトロ銀座線の京橋駅からの方が近い。
中央通りの京橋が架かっていた辺り、高速道路の高架そばの歩道に建っている。
江戸初期、この辺りに初代中村勘三郎が歌舞伎の芝居小屋を創設したことが江戸歌舞伎の始まりという。
初めは「猿若座」と称し大評判であったそうだが、後に移転し「中村座」と改称したとのこと。
こちらは何度か通っているはずなのだが、足を止めた記憶がない。
なので、このような石碑があることに今回初めて気がついた。
ちなみに「京橋」は江戸期に開削された京橋川に架けられていた中央通りの橋。
現在は川が埋め立てられ、その上を高速道路が通っている。
中央通りはかつての東海道。
日本橋から京都への最初の橋であることから「京橋」と名付けられたとか。
「自動電話交換発祥の碑」は、昭和通りの新京橋交差点に近い「銀座ラフィナート 」というホテルにある。
以前は「京橋会館」だったが、近年改称した。
かつては京橋電話局だったところである。
明治や大正を舞台にしたドラマや映画で電話機のレバーをグルグル回して電話をするシーンを見かける。
交換手が出て、つないでほしい相手を呼び出してもらい電話が通じる様子が見てとれる。
当時は交換手が必要だったが、大正15(1926)年に自動交換機が導入された。
関東大震災で壊滅した電話網を復旧させるにあたり、交換手を多く必要とせずに済んだという。
電話は今も通信網の根幹の1つである。
携帯電話やインターネットなどを含めて振り返ってみると、その進歩や進化は物凄さがある。
当時としては自動交換機の導入も目覚ましい進歩だったのだろう。
ところで、先ごろ「銀座ラフィナート」は今年いっぱいで閉館になることが案内された。
もし今後建て替えなどになった場合、こちらの碑はどうなるのだろうか?
何らかの形で残されることを希望する。
今回の『宝町駅』は初めて降りた駅だった。
銀座や日本橋には他にも“発祥”が多いが、今回は新しい発見ができた(^-^)
次回は『日本橋駅』です(^-^)
今回は『宝町駅』です。
駅番号は「A 12」。
スタンプのデザインは「江戸歌舞伎発祥の地碑と自動電話交換発祥の碑」。
「江戸歌舞伎発祥の地碑」は、東京メトロ銀座線の京橋駅からの方が近い。
中央通りの京橋が架かっていた辺り、高速道路の高架そばの歩道に建っている。
江戸初期、この辺りに初代中村勘三郎が歌舞伎の芝居小屋を創設したことが江戸歌舞伎の始まりという。
初めは「猿若座」と称し大評判であったそうだが、後に移転し「中村座」と改称したとのこと。
こちらは何度か通っているはずなのだが、足を止めた記憶がない。
なので、このような石碑があることに今回初めて気がついた。
ちなみに「京橋」は江戸期に開削された京橋川に架けられていた中央通りの橋。
現在は川が埋め立てられ、その上を高速道路が通っている。
中央通りはかつての東海道。
日本橋から京都への最初の橋であることから「京橋」と名付けられたとか。
「自動電話交換発祥の碑」は、昭和通りの新京橋交差点に近い「銀座ラフィナート 」というホテルにある。
以前は「京橋会館」だったが、近年改称した。
かつては京橋電話局だったところである。
明治や大正を舞台にしたドラマや映画で電話機のレバーをグルグル回して電話をするシーンを見かける。
交換手が出て、つないでほしい相手を呼び出してもらい電話が通じる様子が見てとれる。
当時は交換手が必要だったが、大正15(1926)年に自動交換機が導入された。
関東大震災で壊滅した電話網を復旧させるにあたり、交換手を多く必要とせずに済んだという。
電話は今も通信網の根幹の1つである。
携帯電話やインターネットなどを含めて振り返ってみると、その進歩や進化は物凄さがある。
当時としては自動交換機の導入も目覚ましい進歩だったのだろう。
ところで、先ごろ「銀座ラフィナート」は今年いっぱいで閉館になることが案内された。
もし今後建て替えなどになった場合、こちらの碑はどうなるのだろうか?
何らかの形で残されることを希望する。
今回の『宝町駅』は初めて降りた駅だった。
銀座や日本橋には他にも“発祥”が多いが、今回は新しい発見ができた(^-^)
次回は『日本橋駅』です(^-^)






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